PC + α = 人!?
2009.05.27
※今回は酷く思想的(?)な文章ですので苦手な方、気分を害される可能性がある方は閲覧を控えて頂くか、自己責任でご閲覧ください。
先日、昔の友人(学生)と友人の友人(サービス業)で
久しぶりに呑ませて頂きました。
呑むといっても宅呑みだったんですが(^^;)
珍しくベロンベロンに酔っ払うまで呑み、我が家のお手洗いにも
かなりお世話になりながら友人の友人(Aさんとしましょう。)と話していると
興味深いお話を聞くことが出来ました。
Aさんは開発経験もなく、PCも特別詳しい訳でもないのですが
突然こんなことを言い始めました。
「昔から思ってたんだけど、ぱそこんと人って似てない?」
何が?
でも、分かるような分からないような・・・
この時は「酔っ払いがなんか言ってるよ。。。」程度で流していたのですが
後日、自分なりに考えてみると中々面白い発想だと思いました。
SF映画なんかではありがちな「機械の反乱」だとか
「自我をもった機械」だとか飽き飽きしたネタに繋がる発想ですが
機械(PC)と人との共通点・相違点について真面目に考えたことがありませんでした。
(普通は真面目に考える必要ないですしね笑)
確かに基本的な処理の流れはPCと人は酷似していると思います。
・入力→処理→出力
PCの「入力」とはキーボードやマウスからの入力などなど・・・
人の「入力」とは他人から何かを「言われる」や何かを「される」
何かが起こったときの「影響」などだと思います。
またPCのハードを人でいう「体」とするならソフトは「思考」となるのでしょう。
Aさんが「似ている」と酔っ払いながら言い放ったのはここら辺が
理由なのではないかと思います。
では、上記は共通点になるのですが相違点はどうでしょう?
真っ先に思い浮かぶのは先ほど登場した「自我」の存在になりますが
それ以前の違いは「心(αとします。)」の存在なのではないかと思われます。
不確定的なもの定義できないものは激しく嫌いなのですがこのαがなければ
「自我」、「意思」、「思想」、「欲求」などといった人が当たり前に保持しているものも
生まれない訳ですから。
PCは外部からの入力を常に待ってるだけですが
人は違います。
その最大の理由こそがαの有無なのではないかとAさんの一言から
考えるようになりました。
では仮に、PCにαが足されたらどうなるのでしょうか?・・・
ハードを構成する物質が無機物、有機物の差などありますが
それは「人」と呼べるのででしょうか?
PC + α = 人
この式が成り立つのかどうか
自分には分かりません(^^;)
何故こんなことを真面目に考えちゃってるのか自分でも不思議ですが
今回のネタにはなったので良かったです。笑
たまには呑むのもいいですね☆
また機会があったら呑みたいと思います。
もちろん宅呑みで(^^)笑